難聴の私が音楽で笑顔を届ける。

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難聴の私が音楽で笑顔を届ける。

 何度も音楽を辞めようと思ったことがある。精神的にも身体的にも苦しい時、大好きだった音楽を辞めようとした。それでもこうして今もギターを弾き続けていられるのは、いつも私の背中を押してくれる仲間やファン、音楽を通して人々を笑顔にしていく人たちだった。

 兄がギターを弾く姿を見て、私は5年生の時に音楽を始めた。兄は基本的なギターのコードを教えてくれたが、初めての中古ギターを手に入れた時には私は独学で学んでいた。たまたま家にあったL’Arc-en-Ciel(ラルクアンシエル)の「snow drop」という曲の楽譜を元に練習を重ねた。友達と学校の音楽室にいた時に、何気なく演奏してみると、友人は「すごいね!かっこいい!」と言ってくれた。ギターを弾き始めてから、初めて人前で演奏を披露し、人を笑顔にできたこと、友人が私を褒めてくれたことがとても嬉しかった。

 音楽はやはりあの大きな弾み音や振動がやみつきになる。様々なジャンルの音楽を耳で聞いて、身体で振動を感じて、それを自分で演奏することが最高に楽しい。バンド結成や、自分たちの曲を作ったこともあるけれど、やはり私はソロギターでカバー曲を弾くことが好きだ。原曲よりも自分の弾きたいスピードや、皆に聞いて欲しいリズムで自分なりにアレンジ出来るからだろう。

 私は生まれつき耳が少し聞こえない。小学校への入学と同時に補聴器をつけた。それまで気にしてなかったし、聞こえづらいことにも気付いていなかった。今は3つのタイプの補聴器をその時の状況に合わせて使いわけている。普通に出かける時は耳に入れ込むタイプの穴型。運転をする時などは骨伝導型。家にいる時や音楽をする時はかけ型。

 聞こえづらいことで音楽に支障があるかと聞かれることがある。私自身でカバー曲を弾く時は自分の好きなように弾くため特に気にしたことはない。100%原曲に合っていなくてもいいし、むしろ合っていない私にしか表現の出来ない曲にすることに楽しさがある。バンドを組んでいた時は音の調整を気にすることもあった。けれどバンドメンバーが調整してくれたり、演奏中は聞こえるメンバー側が私に合わせてくれることで私たちなりの、私たちだけの曲を表現していた。

 音楽を辞めようと思ったことがある。家庭の事情でギターを何年も弾いていない時期があった。仲間と月に一度集まって演奏していたこともあったが、皆仕事が忙しくて中々集まることができなかった。ギターやベースを弾いていたある日、腱鞘炎(けんしょうえん)になり弾くことができなくなった。やっと治って再び弾き始めると、また腱鞘炎が再発する悪循環に陥ってしまった。そんな時、ふとSNSを開くと頑張って発信を続ける方々がいた。同じ県内にもライブを続ける方々がいた。そんな方々の姿をみていると、ふと自分も「諦めたくない。続けたい。もう一回ギターを弾こう。」と思えるようになった。

 SNSでの発信を始めて多くの繋がりができた。フォロワーも4桁まで伸び、自分の音楽が誰かの役に立っている気がしている。これからの目標の一つとして、私なりのユニークなコラボ企画をやっていきたいと思っている。SNSのライブ機能を使って、アカペラや三味線をする方々と演奏をしてみたい。

 音楽は私の元気の源である。耳が聞こえづらいことで、小さい頃はよくいじめにあった。そんな経験をしたからこそ、今はそれを少しずつなくしていけるように活動していきたいと思っている。まだまだどうしたら解決できるのかはわからない。けれど同じ境遇にある人や、聞こえづらい人々は沢山いるから、困ったときや辛いときは頼ってほしい。私も難聴者として、音楽を通じて皆に笑顔を届けていこうと思っている。

日本手話/日本語字幕付

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