ススマ🇳🇵

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趣味・特技:教育、読書


ナマステ、ネパールのジャパ出身のススマ ・グルンです。耳が聞こえません。

14歳の時に、突然耳が聞こえなくなりました。その時は私は心から絶望をあじわいました。両親はネパール中の多くの病院に連れて行ってくれましたが、残念なことに聴力が戻ることはありませんでした。医師は、突発性難聴だと診断しました。私は優秀な生徒でしたが、難聴になった後、学校に行くのをやめなければなりませんでした。その時、私はうつ病になり、部屋のドアに鍵をかけて一人で部屋にいました。時々親戚が私の家を訪れて、私を「ばかげた(口のきけない)」と呼んでからかってくることがありました。私はとても辛く、自分の将来に希望が持つことができませんでした。

しかし3年後、近所の方から、私のようにろう者がたくさんいて、ろう学校もあり、手話でコミュニケーションを取っているということを知りました。私は心から喜びました。その後、ビラトナガルにあるダーランのろう学校に行き、私のような多くのろうの友達に出会いました。私が初めて彼らと出会った時、心の中は幸せでいっぱいでした。でも残念ながら、当時は手話がわからなかったため、彼らとコミュニケーションをとることができませんでした。そこで私は聴覚障害者のメチ協会、ビルタモードに行き、6ヶ月間手話コースを受講しました。その後、私は中学2年生として学校を再開しました。私は一生懸命勉強し、中等教育レベルを1年で終了しました。私の唯一の目標は教師になり、聴覚障がいの子どもたちにを教えることだったので、私はジャパのビルタモードにあるマナカマナ大学に入学し、教育を専攻しました。聴者の方々と一緒に勉強しました。私はクラスで唯一耳が聞こえませんでしたが、気にすることなく、決してあきらめず、最終的にその学校で1番の成績を収めることができました。そして今、私は大学に通っており、教師になるために一生懸命学んでいます。 聴覚障がいのある生徒が通う学校の先生となり、彼らの未来を明るくしていけたらなと思っています。

ですから、ろう、難聴、中途失調のすべての人へのメッセージはこれです。どんな障がいがあっても、決してあきらめず、自分を信じてみてください。不可能なことは何もありません。

現在、私は「デフシル」でネパール手話教師として働いています。私はいつも障がいに関わる分野で働きたいと思っていましたのが、チャンスはありませんでした。しかし、友人(代表)の修平からネパール手話の先生として働く機会を与えていただき、本当に心から感謝しています。これからも全力で努力し、常に聴覚障がい者を応援していきます。ありがとうございました。